クーパーズブルワリー(Coopers Brewery)

COOPERS BREWERY(クーパーズブルワリー)概要

クーパーズロゴ

クーパーズブルワリーはオーストラリアの南オーストラリア州、アデレードに本拠地を置くビール醸造をメインとした企業である。
オーストラリア国内での売上げは第3位を誇る。第1位のフォスターズグループと第2位のライオンネイサンが吸収や合併を繰り返し巨大企業へと成長していった事や海外の資本が大量に介在しているのに対し、クーパーズは唯一その株式が全てその一族によって守られている、まさにオーストラリア直系、伝統のブルワリーである。
企業形態と株式の種別により他企業への株売却を難しくしている。
クーパーズと名のつくビールはクーパーズ(という会社)によって作られて売られている。日本のビール会社とそのブランド名、製品名で我々日本人が持っているイメージとほとんど同じ形態で売られていると考えていいだろう。

クーパーズ 企業形態

製造するビールのブランドは全て「Coopers(クーパーズ)」で統一されており、エールからスタウト、ラガー、ピルスナー、低アルコールビールからノンアルコールビールまで幅広い製品を取り揃える。
その他のブランドは存在しない。

COOPERS BREWERY(クーパーズブルワリー)

クーパーズのビール製法における特徴の一つに「secondary fermentation (二次発酵)」があげられる。これは、瓶詰め時に生きたままの酵母を一緒にいれることによって瓶の中でさらに発行させるものであり、地ビールなどに多く見られる製法である。 この二次発酵によって作られたビールは澱(おり)、いわゆる沈殿物が瓶底にたまることとなる。 クーパーズの瓶ビールを飲む場合には、グラスにそっと注ぐことにより澄んだ状態にしたり、また栓を抜く前に瓶を倒し軽くコロコロと転がした後にやや激しく注ぐことによって濁った状態で飲んだりと好みによって状態を変えることが可能となる。

また、クーパーズはホームブルーイングキットの販売も行なっており様々な20種類近くのビールの素、及び製造の為の道具を取り扱う。

 

クーパーズブルワリーの歴史

クーパーズの歴史はクーパー家の歴史そのものであるといえる。 1852年、靴屋を営んでいたThomas Cooper(トーマスクーパー)がその妻、子供たちとイギリスからオーストラリアの南オーストラリア州、アデレードへやってきた。
イギリスに住んでいた当時から自宅でのビール造り、いわゆるホームブルーイングが趣味だった彼はオーストラリアの地についてもそれを開始したいと考えていた。

1862年、そこからトーマスのオーストラリアでのビールづくりが始まった。
彼の作ったエールは病気がちだった妻を元気づけた。また、近所にも振舞っていくうちに、旨いビールがあるという噂は瞬く間に広まっていった。
ビール造りを始めてから1年と立たないうちにトーマスはビール製造をホームブルワリーのレベルから本格的なブルワリーへと移す必要に迫られ、当時の設備としては通常のビール醸造会社が持つレベルのものへと変えられていった。
アデレードの地域が盛んになっていくに連れトーマスの作るビールの人気も上昇、同時に生産量も増えていった。

1860年代アデレードには10を超えるブルワリーが存在したがどの醸造所も醗酵のため砂糖を利用していたが、トーマスの造るビールは麦芽とホップのみを使用したため、極めてクオリティーの高いビールであるとの評判を得ていた。 ついにはその当時の仕事を辞め、ビールづくりに専念することを決めたのだった。
1880年には自宅からほど近い位置に土地を購入、本格的なビール醸造所を構えたのだった。このブルワリーの完成度は高く2001年に至るまで利用され続けたのだった。(もちろん、その間に設備の改修等は行われてはいるが。) 新工場で作らてたビールが1881年7月に出荷された。1882年には1年で13万リットル以上のビールが造られた。

1897年からはトーマスの子供達がビール会社を引き継いだ。トーマスには亡くなった前妻とその後再婚した妻との間に計19人の子供を授かっていた。
John Cooper(ジョン・クーパー)とChristopher Cooper(クリストファークーパー)を中心にその他多くの兄弟たちが事業に参加することになった。

1900年当時、南オーストラリアには約20の醸造所が存在したがすでに独立した直系のファミリーによって運営されている会社はこのクーパーズのみになっていた。
オーストラリアが連邦制を導入するとともにビール醸造のライセンス付与が厳格化、より厳しい条件にクリアした企業のみが残るようになった。また原材料などを表示するためのラベルに関する法律も制定され、添加物が入ってない等、消費者に対して健康的なイメージを与えることができた。これら一連の動きは全てクーパーズの評判を上げることとなった。

1960年代にはそれまでエールのみの製造からラガーの製造も開始。幅広い商品展開へと進んでいくきっかけとなった。

1970年代には自宅でのビール造りを楽しむ人々に麦汁の提供を開始、現在のホームブルーイングキット販売のきっかけをつかんでいった。
その後、安定した成長を続けていったクーパーズであったが、2005年にはLion Nathan(ライオンネイサン)によって乗っ取りを前提とした株式公開買付を受けるが、クーパーズは全力でこれを阻止。乗っ取りは失敗に終わった。
現在では、初代トーマスクーパーから数え5代目と6代目が会社を運営している。

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