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クーパーズブルワリー(Coopers Brewery)

  • 創業1862年からの歴史を持つオーストラリア国内ビール販売シェア3位の超大手醸造会社
  • 過去一度も外資の手に渡ったことがないオーストラリア直系の純国産企業
  • 瓶内二次発酵、副原料無し、無添加などクーパーズ伝統の製法を守り続けている
目次

クーパーズブルワリー(COOPERS BREWERY)概要

COOPERS BREWERY(クーパーズブルワリー)概要
Sited from https://coopers.com.au/

クーパーズブルワリーはオーストラリアの南オーストラリア州、アデレード中心地からほど近いサバーブ、リージェンシーパーク(Regency Park)に本拠地を置くビール醸造をメインとした企業で創業は1862年。
オーストラリア国内でのビールシェアは第3位となる。第1位のカールトン&ユナイテッドブルワリーズ(CARLTON & UNITED BREWERIES)と第2位のライオンが吸収や合併を繰り返し巨大企業へと成長していった事や海外の資本が大量に介在しているのに対し、クーパーズは唯一その株式が全てその一族によって守られ過去一度も外資の介入がないまさにオーストラリア直系、伝統のブルワリーである。
同社の株式は主にクーパーの親族が所有しており、会社の定款と株式の種類により、親族外に株式を売却することをきわめて困難にしている。

クーパーズと名のつくビールはクーパーズ(という会社)によって作られて売られている。日本のビール会社とそのブランド名、製品名で我々日本人が持っているイメージとほとんど同じ形態で売られていると考えていいだろう。

クーパーズブルワリー運営構造

製造するビールのブランドは全て「クーパーズ(Coopers)」で統一されており、エールからスタウト、ラガー、ピルスナー、低アルコールビールからノンアルコールビールまで幅広い製品を取り揃える。
その他のブランドは存在しない。

クーパーズビール
クーパーズビール

クーパーズのビール製法における特徴の一つに「二次発酵(secondary fermentation)」があげられる。これは、瓶詰め時に生きたままの酵母を一緒にいれることによって瓶の中でさらに発行させるものであり、地ビールなどに多く見られる製法である。 この二次発酵によって作られたビールは澱(おり)、いわゆる沈殿物が瓶底にたまることとなる。これはクラウディ(Cloudy)、つまり「曇り」と表現されクーパーズのビールを一層有名なものとしている。クーパーズの瓶ビールを飲む場合には、栓を抜く前に瓶を倒し軽くコロコロと転がした後、やや激しく注ぐことによって濁った状態で飲むのがいわゆる儀式のようなものとなっている。またグラスにそっと注ぐことにより澄んだ状態でも、と好みによって飲み方を変えることが可能となる。
ちなみにこのクーパーズの濁りは、クラフトビール等でも大人気のIPAの派生型、Hazy IPA(ヘイジー IPA)、つまり濁ったタイプのIPAなどで用いられる「ヘイジー」とは区別して使われる傾向にある。流行りで濁らせているわけではなく、クーパーズのそれは瓶内二次発酵のためこうせざるを得ない、そしてそれこそがまたクーパーズ独特の旨味を醸し出しているという。クーパーズの濁りはHazyではなくあくまでCloudyなのだ!

また、クーパーズはホームブルーイングキットの販売にも力を入れており数十種類に及びビールの素、及び製造の為の道具を取り扱う。缶に入った自家製ビールセット生産は世界最大である。

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クーパーズブルワリーの歴史

クーパーズの歴史はクーパー家の歴史そのものであるといえる。
1852年、靴屋を営んでいたトーマスクーパー(Thomas Cooper)がその妻、子供たちとイギリスからオーストラリアの南オーストラリア州、アデレードへやってきた。
イギリスに住んでいた当時から自宅でのビール造り、いわゆるホームブルーイングが趣味だった彼はオーストラリアの地についてもそれを開始したいと考えていた。

1862年、そこからトーマスのオーストラリアでのビールづくりが始まった。まだ小さく脆弱ながらも、確かにクーパーズブルワリーの始まりだった。
彼の作ったエールは病気がちだった妻を元気づけた。また、近所にも振舞っていくうちに、旨いビールがあるという噂は瞬く間に広まっていった。(この一説から「病気がちの奥さんのためにビールを造ったのがこのブルワリーの始まり」と引用されることが多い)
ビール造りを始めてから1年と立たないうちにトーマスはビール製造をホームブルワリーのレベルから本格的なブルワリーへと移す必要に迫られ、当時の設備としては通常のビール醸造会社が持つレベルのものへと変えられていった。
アデレードの地域が盛んになっていくに連れトーマスの作るビールの人気も上昇、同時に生産量も増えていった。

1860年代アデレードには10を超えるブルワリーが存在したがどの醸造所も醗酵のため砂糖を利用していたが、トーマスの造るビールは麦芽とホップのみを使用したため、極めてクオリティーの高いビールであるとの評判を得ていた。 ついにはその当時の仕事を辞め、ビールづくりに専念することを決めたのだった。
1880年には自宅からほど近い位置に土地を購入、本格的なビール醸造所を構えたのだった。このブルワリーの完成度は高く2001年に至るまで利用され続けたのだった。(もちろん、その間に設備の改修等は行われてはいるが。) 新工場で作らてたビールが1881年7月に出荷された。1882年には1年で13万リットル以上のビールが造られた。

1897年からはトーマスの子供達がビール会社を引き継いだ。トーマスには亡くなった前妻とその後再婚した妻との間に計19人の子供を授かっていた。
ジョン・クーパー(John Cooper)とクリストファークーパー(Christopher Cooper)を中心にその他多くの兄弟たちが事業に参加することになった。

1900年当時、南オーストラリアには約20の醸造所が存在したがすでに独立した直系のファミリーによって運営されている会社はこのクーパーズのみになっていた。
オーストラリアが連邦制を導入するとともにビール醸造のライセンス付与が厳格化、より厳しい条件にクリアした企業のみが残るようになった。また原材料などを表示するためのラベルに関する法律も制定され、添加物が入ってない等、消費者に対して健康的なイメージを与えることができた。これら一連の動きは全てクーパーズの評判を上げることとなった。

1960年代にはそれまでエールのみの製造からラガーの製造も開始。幅広い商品展開へと進んでいくきっかけとなった。

1970年代には自宅でのビール造りを楽しむ人々に麦汁の提供を開始、現在のホームブルーイングキット販売のきっかけをつかんでいった。
1987年にはクーパーズ誕生125周年迎え、これを祝う多くの祭典が開かれた。

その後は安定した経営を続けるものの2005年、ライオン・ネイサン(現 ライオン)は乗っ取りを前提とした株式公開買付を受けることとなる。この買収はクーパースの経営陣によって極めてい反対を受けた。臨時株主総会ではライオンネイサンの「第3段階購買権」を恒久的に撤廃することに93.4%の株主が賛成し、現在そして将来の買収を事実上阻止することで否決された。ライオンネイサンの買収は失敗に終わった。

その後の経営はかなり安定したものとなった。2009年にはオーストラリアビールシェアNo2企業ライオンがキリンの手に渡り、2011年にはカールトン&ユナイテッドブルワリーズ(CARLTON & UNITED BREWERIES)が英国と南アフリカの超巨大飲料メーカーであるエスエービーミラー(SAB Miller)に買収された。メジャーブルワリー(大手ビール会社の事)として、オーストラリアが完全保有する唯一の企業となり、それは2024年現在まで続いている。

2012年には150周年を記念して限定醸造の「セレブレーション・エール」を販売。その他のビールにも記念ラベルを貼り祝いを行った。

クーパーズブルワリー150周年記念 セレブレーションエール

2017年3月、クーパース・ブリュワリーは、聖書協会の200周年を記念した限定プレミアムビールを発売した。同性婚の問題をめぐる問題にてコントロバーシャルな事態に発展した。
しかしこれらはクーパーズの売り上げに大きく影響するものでは全くなかった。

2024年現在、今日もオーストラリア純直系ビールを安定した経営とともにオーストラリアのファンへ、いや世界中のファンへ届けているのである。

クーパーズ ロゴ
クーパーズ ロゴ
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