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オーストラリアビールの歴史|日本一詳しい解説

オーストラリアのビールの歴史
目次

オーストラリアビールの歴史はオーストラリアの歴史そのもの

オーストラリアにおけるビールの歴史は、国そのものの歴史と深く結びついています。
植民地時代にヨーロッパ人が入植したころから、すでにビールは重要な存在となっていました。

このページでは、オーストラリアビールの歴史について、日本一詳しい内容を目指してご紹介します。
ラム酒から始まったお酒文化が、どのようにしてビールへと広がっていったのかを一緒に見ていきましょう。

オーストラリアのビールの歴史は、1700年代後半イギリスがジェームズ・クック(いわゆる「キャプテン・クック」)を船長とする探検隊をオーストラリアに派遣したときまでさかのぼります*。
キャプテンクックはその時すでに、ビールを保存のきく飲料水の代わりとして利用していたと言われています。またクックは、彼らが航海をする船に大量の材料を持ち込み、船上でもビールを醸造していたというのです。
*第1回目の航海は1770年。同年4月にオーストラリア東海岸に到達し、現在のボタニー湾(Botany Bay)に上陸した

飲み水が腐っても、ビールなら飲むことができる。特に水がいたみ始めたときに、醸造の過程が腐敗臭を軽減してくれるため、船上でのビール醸造は非常に重宝されたのです。もちろん当時のビールは現在のような洗練されたものではなく、質も決して高くはありませんでした。しかし「発酵」という工程を経たれっきとしたビールでした。

オーストラリアビールの歴史

ラム酒からビールへ

1770年代頃のオーストラリアでは、まだビールが大量に消費されていたわけではなく、主に飲まれていたのはラム酒でした。ラム酒は少量であれば通貨のように利用されるほど浸透していました。

しかし、流刑者が多く送り込まれていた当時のオーストラリアでは、ラム酒の過剰な消費が社会問題となりました。人々は酔い騒ぎ続け、子どもでさえも酒を口にすることがありました。やがて酔っぱらいは「悪」とみなされるようになります。

そこで注目されたのがビールです。ビールはラム酒に比べてアルコール度数が低く、より健康的で安全だとされ、徐々に消費量を増やしていきました。同時に蒸留酒であるラム酒の消費は減少していきます。

エールからラガーへ

現在のオーストラリアで主に生産されているのはラガービールですが、1800年代当初はエールが主流でした。エールは上面発酵で短期間に熟成が可能であったため、当時の環境に合っていたのです。

ラガービールが初めて造られるようになったのは1885年になってからのことです。
また、初期のオーストラリアではホップの栽培や輸入が難しかったため、最初に造られたビールにはホップが使われていませんでした。
*エールとラガー等の違いについては「ビールの種類(スタイル)」のページを参考下さい

初のオーストラリアビール醸造

1700年代後半になると、入植者が独自にビールを造り始めるようになり、1790年頃には流刑者の数の増加とともにビール需要も高まっていきました。

オーストラリアで「初めて」ビールを醸造した人物については諸説ありますが、大きく次の二人に集約されます。

  1. ジョン・ボストン(John Boston)
    1794年にイギリスからシドニーへ到着した初期移民です。
    1796年には百科事典を参考にしながらシドニーで初めて発酵アルコール飲料を製造しました。同じ年に麦芽とトウモロコシからビールを醸造し、ソラマメの一種である「ラブ・アップル」の葉や茎を使って苦味をつけました。これがうまくいったことから、ボストンは私費を投じて醸造所を設立しました。
  2. ジェームズ・スクワイア(James Squire)
    1788年にイギリスからシドニーへやってきた人物で、ホップ栽培を成功させた最初の人とされています。彼は到着直後からビールの醸造を始めていたと証言しており、ホップを用いた本格的なビールを造った人物として知られています。

それ以前の入植者もビールを醸造していた可能性はありますが、公式な記録として残っているのは上記二人です。
詳しくは「ジョンボストン(John Boston)とジェームズスクワイア(James Squire)の関係性」を参考に。

オーストラリアビールの歴史

醸造所の発展と政府の関与

1800年代初頭には、政府がパラマタに醸造所を設立しました。しかし、わずか2年後に個人へ売却されます。この醸造所はオーストラリアの歴史上唯一、政府が運営したビール醸造所でした。

その後、醸造所の数は急速に増加し、1800年代中頃には100を超える醸造所が存在しました。当時の人口はわずか75万人程度でしたが、ビール需要の大きさを物語っています。

建国とビール産業の繁栄

1800年代は、オーストラリアにとってビール繁栄の時代でした。

この時期はまさに、現在でもオーストラリアのビール界を代表する巨大ブルワリーが誕生した黄金期でした。

ただし、景気の変動により小規模な醸造所は次々と淘汰されていきます。

1901年 建国と規制の時代

1901年1月1日、オーストラリアは連邦制を導入し、建国を果たしました。同時にお酒に関する法律も制定され、製造や販売は厳しく規制されるようになりました。その結果、多くの醸造所が閉鎖を余儀なくされます。

生き残った醸造所は買収や合併を繰り返し、数年のうちに各州で数社しか残らなくなりました。

その後の吸収合併を経て、現在オーストラリアに存在する大手醸造所の多くはライオン(Lion)カールトン&ユナイテッド・ブルワリーズ(Carlton & United Breweries, CUB)に集約されています。唯一の例外はクーパーズ(Coopers)で、いまでもファミリー経営が続けられています。

大手ラガービール一辺倒の時代

1900年代中頃から2000年直前までは、大手企業の造るラガービールが圧倒的なシェアを持つ時代でした。広告では肉体労働後に豪快にビールを飲む男たちの姿が描かれ、「ビール=男の象徴」として定着していきました。

当時は物流が発達していなかったため、各州には必ずその地域を代表するブルワリーがあり、人々はその銘柄を当たり前のように飲んでいました*。
*オーストラリアビールの基本情報のページ内「各ビールブランドは地域との結びつきが非常に強い」を参照下さい

人々はそれ以外のビールを疑うことなく「自分の州のビール」を飲み続けていたのです。

詳細年表:オーストラリアビールの歩み

これまでの歴史を年表で簡単に振り返ってみましょう。

1700年代 ― ビールの導入期

  • 1770年頃:キャプテン・クック、探検船で保存用飲料としてビールを携帯。船上で醸造も行う。
  • 1770年代:オーストラリアではラム酒が主流、通貨代わりにも使われていた。

1780 – 90年代 ― 初の醸造

  • 1788年:ジェームズ・スクワイアがシドニーへ到着、すぐにビール醸造を開始
  • 1794年:ジョン・ボストンがシドニーに到着。
  • 1796年:ジョン・ボストン、麦芽とトウモロコシでビールを醸造。

1800年代 ― 発展と拡大

  • 1800年代初頭:政府がパラマタに醸造所を設立(2年後に民間売却)。
  • 1805年:ジェームズ・スクワイアがホップ栽培に成功、量産開始
  • 1835年:トゥース創業。
  • 1842年:タスマニアにカスケードブルワリー誕生(現存最古)。
  • 1862年:クーパーズがアデレードで創業。
  • 1864年:カールトンがメルボルンで創業。
  • 1887年:フォスターズがラガービールを醸造開始。

1900年代 ― 規制と大手時代

  • 1901年:オーストラリア建国。酒類法施行で小規模醸造所が激減。
  • 1900年代中期:各州ごとの「代表ビール」が定着。
    • QLD:XXXXゴールド
    • NSW:トゥーイーズ・ニュー
    • VIC:ビクトリア・ビター
    • WA:スワン、エミュー
    • SA:ウエストエンド、サザーク、クーパーズ
    • TAS:ジェイムズ・ボーグズ、カスケード
    • NT:エヌ・ティー・ドラフト

2000年代 ― クラフトブーム

  • 消費者の嗜好多様化、クラフトブルワリーが急増。
  • 大手ビールの消費減少、クラフト文化が定着。

2010年代〜現代 ― 新時代

  • オンライン流通、クラフトイベント(GABSなど)が拡大。
  • 健康志向により低アルコール・ノンアルコールビール需要が増加。
  • クーパーズが観光施設をオープンするなど老舗も進化。
  • シャンディの復活など新しい飲用スタイルが若者に浸透。

オーストラリアのクラフトブームと多様化のその先 ~現代における注目の動向~

1990年代末から2000年代にかけて、人々の嗜好は多様化し始めます。ワインや新しいアルコール飲料の人気が高まると同時に、クラフトブルワリーが次々と台頭し、大手ビール、特に定番ラガーの消費量は大幅に減少していきました。

この「クラフトブーム」により、オーストラリアビールは再び新たな時代を迎えたのです。
この先は2000年ごろから現代に至るまでの動きを紹介し、このページの結びにいたします。

市場規模の拡大と成長予測

  • オーストラリアのクラフトビール市場は2025年には約18億1,030万AUD(約1.8 億ドル)に達し、2025〜2034年にかけて年平均約17.5%で成長し、2034年には約90.8億AUDに達すると見込まれています。
  • 国際的報告では、2024年時点で約29億USD規模とされ、2033年には約61億USDに到達するとの予測もあり、年平均成長率は8.8%とされています。
  • このように高い伸び率が継続すると見込まれており、消費者の嗜好変化や個性重視の風潮に支えられた市場と言えるでしょう。

消費全体は減少する中でクラフトの伸び

  • オーストラリア国内のビール消費量は、この65年間で最低水準に落ち込んでいます。その中でも、クラフトビールだけが逆風をものともせず、急速に伸びている状況です。
  • 数値で見るとクラフトビールの売上成長は年平均5%(従来のビールは1.7%程度)である一方、全体の飲用量は下降傾向にあるため、品質重視の転換が進んでいます。

流通とブランドの変化

  • 大手小売グループ(たとえばエンデバーグループ(Endeavour Group)およびコールズ・リカー(Coles Liquor)など)によるプライベートブランドや“疑似クラフト”ビールが急速に台頭。現在ではクラフト市場の約5%を占めるまでに至っており、大手ビールメーカーの脅威となっています。
  • また、オンライン購入の普及も進んでおり、2023年の調査ではクラフトビールのオンライン購入者は57%に達し、2019年の40%から大幅に増加しています。

フェスやイベントの役割増大

オーストラリアではクラフトビールの浸透とともに、全国規模のイベントや国際的なアワードが定着しました。

これらのイベントやアワードは、消費者にとってはビール文化を楽しむ場であり、ブルワリーにとってはブランド強化や国際的評価を得る重要な機会となっています。

健康志向とノンアルコール、低アルコール製品の増加

  • 消費者の健康意識の高まりにより、アルコール度数の低い「ロービール」やノンアルコールクラフトビールの需要が増加しています。

老舗ブランドの進化と観光化

  • クーパーズ社(1862年創業)は、$7,000万規模の大型ビジターセンター(マイクロ醸造所やウイスキー蒸留所併設)をオープンするなど、ブランド体験型施設に大きな投資を行い、観光と醸造を融合させています。
  • Beechworthの老舗Billson’s Breweryも、RTD(Ready-to-Drink)ブランドをCoca-Colaに売却後、新名称「Last Street」として再編し、コンセントレーションの見直しを進めています。

消費傾向の多様化

  • かつて70〜90年代に人気だった「シャンディ(ビール+レモネード)」が若年層を中心に再評価され、低アルコールで爽やかな飲み物スタイルとして復活の兆しを見せています。
  • また、独立系パブの中には「大手企業のビールを提供しない」と宣言し、インディペンデントブランドを支援する動きも出てきています。
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