カスケードブルワリー(CASCADE BREWERY)概要
カスケードブルワリーは1832年から創業を続けるタスマニア州(Tasmania)、ホバート(Hobart)にある醸造所。
現在営業を続けるオーストラリア国内の醸造所の中では最も古くに立ち上げられた。
まれに勘違いされるが、オーストラリア国内で一番最初に立てられたブルワリーではない。
タスマニア、ホバートの周辺は自然豊かでとても美しくまた良質な水も採れることから非常にクオリティの高いビール製造が可能であった。
この醸造所で作られるビールは全て「カスケード」のブランドで統一されており、ビールの種類はラガーを中心に、エール、スタウト等も製造、またアルコールの含まれていないジュースやホームブルワリー用のキット、アクセサリも販売する。
カスケードブルワリーのビールに対する評価はオーストラリア人総じて大変高く、皆一様に口を揃えて「素晴らしい」という。 昔ながらの製法でじっくり時間をかけて醸されるビールはとても正直で素直な味。水にもこだわっておりとてもクリアなテイストが特徴だ。
製造されるビールには古くから存在する「ブレミアムレンジ」と、誕生してから比較的新しい「カスケードレンジ」の2種類をメインシリーズとし、それ以外には季節限定をはじめとした限定製品も製造される。 2002年から製造されたファーストハーベスト(First Harvest)は有名な限定商品で、その年に採れる初摘みタスマニアンポップのみで作られる貴重なビールである。
趣のある製品の1つにブレミアムレンジのカスケードペールエール(Cascade Pale Ale)があげられる。 名前には「ペールエール」の呼び名が付くが、実はラガーに分類されるもので、その昔、オーストラリアに一般的なラガーの製法が伝えられる前に、カスケードが独自に製造していたためで、当時の名残により、そのままの名前が使用されている。
カスケードブルワリーのキャラクターとしてフクロオオカミ、またの名をタスマニアタイガーが使用されている。体長120センチ程で、オオカミやキツネのようにみえる生き物である。
肉食の有袋類で、オーストラリアへ移民が渡ってから家畜扱いの為乱獲がすすんだ。1936年にに絶滅したとされる。
カスケードブルワリーの歴史
カスケードブルワリーの歴史は1824年にはじまる。イギリスからの移民、ピーターデグレイブス(Peter Degraves)が、自分の敷地内に製材業を開始。
1826年、イギリスに残してきた借金未払いの罪に問われる。彼は借金は一切無いと主張したが認められず牢屋へ入れられる事となってしまった。
牢獄の生活にてビール製造を始めることを決意。
1832年の出所後自分の敷地に醸造所を立ち上げた。 その高いクオリティに人気をはくし順調に事業は成功していき、醸造所の数も次第に増えていった。
1883年には醸造所を法人とし株式を公開。その後も安定した経営を続けていった。
1922年にはその歴史の中でも重要となるジェームズボーグズ ブルワリー(James Boag’s Brewery)の買収に成功。 財政的に苦しい時期を迎えるも一時的なもので、第二次大戦中にも経営は安定。
1967年2月7日はカスケードブルワリーにとってもオーストラリアのビール業界にとっても歴史的な日となるはずだった。 それまで瓶でしか製造されていなかったビールだが、新たに缶ビールが初めて製造される予定だった
しかし、連日の猛暑でブッシュファイアー(山火事)が発生。カスケードブルワリーの大部分が火災の被害にあってしまった。 懸命の復旧作業により3ヵ月で生産を再開するまでに至った。
その後1970年頃から始まったアルコールに関する法律が制定されるにしたがって 多くのブルワリーが無くなっていくという時代を切り抜た。
しかし、80年代にはビール業界に起こった合併、買収の大流行を乗り切ることはできなかった。
カスケードは株式増資などで抵抗するも1981年にはカールトン&ユナイテッドブルワリーズによる約20%もの株式取得を許してしまい、93年にはついに買収されて現在に至る。
85年頃からはブレミアムレンジビールの販売も始め、それは瞬く間に成功をおさめた。
カスケードブルワリーは今日でもオーストラリアのビール業界において大きな存在となっている。