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ジェームズボーグブルワリー( JAMES BOAG BREWERY)

ジェイムズボーグブルワリー
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ジェイムズボーグブルワリー(JAMES BOAG BREWERY)概要

ボーグズブルワリー(ジェイボーグアンドサン)

ジェイムズボーグブルワリー(JAMES BOAG BREWERY)はオーストラリアのタスマニア州(Tasmania)、ロンセストン(Launceston)に本拠地を置く醸造所。
かつてはボーグズブルワリー(BOAG’S BREWERY)また別名として、ジェイボーグアンドサン(J. BOAG&SON)の名前で運営されていた。

タスマニア州都のホバート(Hobart)から約200km離れた(オーストラリアにしては)歴史あるこの地は、自然豊で良質な水も豊富な事からビールの醸造には非常に適している。
その名が示す通りこちらの醸造所はジェイムズボーグ(James Boag)とその息子(息子の名もまたジェイムズという)によって1883年に立ち上げられその後も代々ボーグ家によって運営が続けられていた。
その後、存続の危機を乗り越えいくつかの会社への買収等を繰返し現在はライオン(Lion)によって保有されている。(詳しい歴史は下の項目を参照ください)
ボーグズブルワリーにて醸造される製品はすべて「ジェイムズボーグズ(James Boag’s)」のブランドで統一されている。時々製品のラベルに「BOAG’S Draught」等と「BOAG’S」の表記しか無い為、それらは別のブランドと混同されることもあるがそれらも全てジェイムズボーグズシリーズの一員となっている。

ジェイムズボーグの名のもと、プレミアムラガーやドラフト、エール、ライトビール等一通りのシリーズを取り揃えているが、限定商品のポーターや、ラガーでありながらエールと名の付くBoag’s XXX Aleなど趣のある商品も打ち出している。

タスマニアがはぐくむ大自然の美味しい水で醸造されるビールはとてもクリアなテイストが特徴で、フラッグシップビールのプレミアムラガーはスムーズで癖がなく飲みやすいと評判で、万人に受け入れられる仕上がりとなっている一方で、個性を打ち出した製品の開発にも力を入れている。

ジェイムズボーグブルワリーの歴史

ジェームズボーグブルワリーの歴史は1883年に初代ジェームズスボーグとその息子*によってもともと存在した醸造所を引き継いだ事にはじまる。場所は現在ブルワリーがあるのと同じ場所、オーストラリア タスマニア州のロンセストンであった。現在でも自然あふれる大変美しい場所である。
*息子の名前も同じく「ジェームズボーグ」である。海外では子供が父親と全く同じ名前をもつことも珍しいく無い。初代ジェームズボーグばジェームズボーグ 一世、その息子は二世と表現されており、ここでもそのように述べることとする。

Sited from https://www.jamesboag.com.au/beer-food/james-boags-premium/

もとは1881年、チャールズ・スタマーズ・バトン(Charles Stammers Button)によってロンセストン、ノース・エスク川岸(North Esk River)建てられたエスクブルワリー(Esk Brewery)が存在したがそれをジェームズボーグ親子が引き継いだのだ。

1887年にジェームズボーグ一世が引退すると、二世がブルワリーを法人化、それに伴い新しい貯蔵庫が次々に建設され、毎週のビール生産量は12万リットルを超えるほどに成長、醸造所には30人のスタッフが雇用された。同時に彼と彼の父が1878年の昔に働いていた近所のブルワリー、コーンウォールブルワリー(Cornwall Brewery)を買収し、エスクブルワリーを拡大、事業を軌道に乗せ安定した経営を続けていた。

ジェームズボーグ二世は1919年にこの世を去り、シドニーのトゥースアンドコーリミテッドの醸造所で研修を受けていたジェームズボーグ3世が後を継いだ
1930年に社長に就任すると1944年に亡くなるまでその地位を守り続けた。
その後ジェームズボーグ3世の次男であるジョージボーグが後を継いで社長に就任するも妻の死後、1976年に彼は引退。残念ながらこれがこれが本ブルワリーで働くボーグ家、最後の人物となった。

その後2000年にフィリピンのコングロマリットでかつビールも生産するサンミゲル・コーポレーションが9,200万豪ドル(当時レートで約58億円)でジェームズボーグズを買収するも、経営は引き続き現場のタスマニア経営陣に任せられた。その後3年間、生産量は毎年増加をたどり順調な経営に乗せると、2004年には既設醸造所を囲う一角すべてのエリアに拡大さらに経営を盤石なものにすると2007年には当時のライオンネイサン(現在のライオン)に3億2500万豪ドル(当時のレートで約310億円)で売却。高値で売り抜けたのだった。

2009年にはライオンネイサンが日本のキリンホールディングスによって買収、ライオンネイサンの名をライオンに変更。その後はこれまで以上に安定した経営及び、人気を継続している。

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