MENU

レシャスリミテッド (Resch’s Ltd)

レシャスリミテッド
目次

RESCH’S LTD(レシャス リミテッド)概要

レシャスリミテッドは1906年から1929年にTooth and Co. Limited(トゥースアンドコーリミテッド)に吸収されるまで存在したビール会社。ニューサウスウェールズ州のシドニーに拠点を置いた。

「レシャス」のブランドにてビールが製造されていたこともあって、時々この会社のことを「レシャスブルワリー」と表現される事がある。
正しくはこの会社「レシャスリミテッド」が保有していた主要な醸造所の名前がWaverley Brewery(ウェーバリーブルワリー)というものであった。

レシャス ビールラベル
レシャス ビールラベル

「レシャス」のブランドにてビールが製造されていたこともあって、時々この会社のことを「レシャスブルワリー」と表現される事がある。
正しくはこの会社「レシャスリミテッド」が保有していた主要な醸造所の名前がWaverley Brewery(ウェーバリーブルワリー)というものであった。

レシャスリミテッドが買収された後もビールの製品として「レシャス」は現在まで残り、Foster’s Group(フォスターズグループ)が保有するカールトン&ユナイテッドブルワリーズ(CARLTON & UNITED BREWERIES)(という醸造所)にて製造が続けられている。
しかしながらレシャスの名を残すものは「レシャスピルスナー(上写真がそのロゴ)」をメインに極小数限られた種類のみとなっており、それも主にニューサウスウェールズ州のみの販売となっている。
ちなみに、レシャスリミテッドや、ウェーバーブルワリー、このあたりを総称して単にレシャスブルワリーと呼ばれることも多い。
また過去のレシャスリミテッドはRESCH’Sと表記され、その名前にアポストロリーを含んだが、現在のレシャス製品は一様にRESCHSとなり、アポストロフィーの抜けたものとなっている。
発音は昔も今も同じく「レシャス」読まれる。

RESCH’Sの歴史

Resch’s(レシャス)はドイツ出身の醸造家、Resch Edmund(エドマンドレッシュ)によって1897年に立ち上げられ、現在のCarlton & United Breweries(カールトン&ユナイテッドブルワリーズ)の前身であるKent Brewery(ケントブルワリー)を保有する会社、TOOTH AND CO. LIMITED(トゥースアンドコーリミテッド)によって吸収合併される1929年まで存在したビール会社である。
創業者であるレッシュは1847年にドイツのヴェストファーレンに生まれ16歳の時にオーストラリアヴィクトリア州に家族とともにやってきた。
その後、ニューサウスウェールズ州やクイーンズランド州を渡り歩いた後再びニューサウスウェールズ州の奥地Wilcannia(ウィルカニア)へ戻り、彼の弟、Richard(リチャード)と共に水処理に関する事業を開始。
そばを流れるダーリング川には川港や田園地区の中心地であったとこから事業は成功、あっという間に成長を遂げていったのだった。
2人の共同事業は続き1879年には同じくウィルカニアにてLion Brewery(ライオンブルワリー)1を立ち上げビールの製造に乗り出した。
ウィルカニアと同じニューサウスウェールズ州で、ウィルカニアから南東約560km、シドニーからは南西へ約300km離れたところに小さな街Cootamundra(クータマンドラ)があった。

1883年にはそのクータマンドラてに新たに醸造所を設立、こちらもライオンブルワリーを名乗った。
それからたった2年の間、1885年までにはSilverton(シルバートン)、Broken Hill(ブロークンヒル)、Tibooburra(ティブバラ)と言われる場所へ次々と醸造所を立ち上げ大きく繁栄を遂げていったのである。
兄弟2人三脚でやてきた事業だがこの時点で2人のパートナーシップはお互い合意のもと円満に解消。それぞれ独自の道を歩むこととなった。
弟のリチャードはクータマンドラとティブバラの醸造所を保有し、(兄の)レッシュはウィルカニアを引き継いだ。レッシュはこのウィルカニアで醸造家としての地位を不動のものとするほど有名なブルワーへと成長していくのである。

オーストラリアの地図
オーストラリアの地図

1892年にはシドニーへ移動するとともにBondi Junction(ボンダイジャンクション2)にあったWaverley Brewery(ウェーバリーブルワリー)を買収するとすぐにビール製造を開始した。

その一方で1895年には醸造家としての能力、そして経営者としての腕を買われた彼は、当時シドニーのWaterloo(ウォータールー)という街でビールやワインの醸造を行っていた会社、 Allt’s Brewing & Wine and Spirit Co. Ltd(オールツブルーイング・アンド・ワイン・アンド・スピリッツ・コー)の運営を任されるようにもなる。

1897年にはオールツブルーイング・アンド・ワイン・アンド・スピリッツ・コーを買収、更に事業を拡大していくと、1900年にはNew South Wales Lager Bier Brewing Co.(ニューサウスウェールズラガービールブルーイング コー)を買収した。

1906年に事業をまとめる意味も含めシドニーの(Reffern)レッドファーンにウェーバーブルワリーの機能を移管、さらに醸造工場を立ち上げると同時にレシャスリミテッド の法人を立ち上げたのだ。
エドマンドレッシュの造るビールは万人に愛され、またレシャスリミテッドは当時の雇用や市場の安定に大きく貢献したことから、1904年から1914年まで彼に「総督閣下の任命による醸造家」の称号が与えられた。

レシャスの勢いは続いていたものの、当時ニューサウスウェールズ州で非常に大きな力を持っていた醸造会社、Tooth and Co. Limited(トゥースアンドコーリミテッド)、によって買収されることになった。
まずは1921年に醸造所のウェーバーブルワリーが買収されると、1923年創業者のエドマンドレッシュが亡くなったこともあって1929年には企業そのものが完全にトゥースアンドコーリミテッドによって買い取られることとなった。
しかしながら非常に高いクオリティを誇ったレシャスのブランドはそのまま残ることとなった。
ケントブルワリーは1983年に当時最大手ビール会社の1つであったCarlton & United Breweries(カールトン&ユナイテッドブルワリーズ)に買収されることになるのだが、残念ながらその年にビール工場として利用されていたウェーバーブルワリーが閉鎖されてしまった。

  1. オーストラリアビール醸造会社の最大手の一つライオンネイサンの前身であるライオンブルワリーとは別会社である。
  2. 上地図参照
目次